西嶋さんは福岡市の出身で1965年に弁護士登録し、日弁連=日本弁護士連合会の常務理事などを務めました。
刑事事件では数々のえん罪事件の弁護に携わり、1954年に静岡県島田市で当時6歳の女の子が殺害された「島田事件」では、弁護団の事務局長として再審での無罪を勝ち取りました。
1966年に今の静岡市清水区で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(87)の弁護団では、およそ20年にわたって団長を務めてきました。
去年3月に袴田さんの再審を認めた東京高等裁判所の決定について、検察が特別抗告しないことを決めたあとの記者会見で西嶋さんは「一日も早く再審を開いて巌さんの無実を明らかにしたい」とことばをつまらせながら話していました。
西嶋さんは5年前ほど前から間質性肺炎を患い、酸素をチューブで吸入する装置を使いながら、車いすに乗って袴田さんの再審の審理に臨んでいました。
1月5日には、日弁連で開かれた弁護団会議に出席していましたが、2日後の1月7日の朝に、東京都内の自宅で倒れているのを同居している家族が発見し、搬送先の病院で死亡が確認されました。
82歳でした。